一神教の成り立ちについて考察4

参考資料

  

アテン神は、テーベで信仰されていた祀られていたマイナーな地方神であったが、アクエンアテンによって突如、国家主神にされた。

アテン神は「シヌヘの物語」で初めて言及される。

アテンの他に神無しという事で、創造神であり唯一神である。

偶然にも、出エジプト記によく似た話であるシヌヘの物語に唯一創造神として登場する。ヤハウェの原型がこのアテン神ではないかという意見もあるが(ジークムント・フロイト)、私もそう思う。

アテン信仰とシヌヘ物語を合わせたものが出エジプト記ではないだろうか。

創世記の後半に登場する、ヤコブの息子ヨセフの子どもたちであるマナセ、エフライムはエジプトで産まれたエジプト人妻との子である。この2人がさり気なくイスラエル12部族の中に迎え入れられている。

このようにして、カナン地方の部族連合にエジプトのアテン神信仰が入ってきた経緯を描いているのではないだろうか。

アテン賛歌と詩編104章の類似は無視できるものではないだろう。

確かに両者は完全一致している訳では無いが、創世記の後半にマナセ、エフライムの経緯が導入されている事、そしてその後に出エジプト記が続いている事を考えると、アテン信仰が導入されたとは言わないまでも、何かしらの教理が持ち込まれた事を示唆していると考えても可笑しくはないだろう。

 

そのように考えるとダビデのイシュタル礼拝を思わせる礼拝法とモーセの幕屋式一神教

礼拝法の奇妙な隔たりの理由が判るように思われる。シュメール式のジッグラト(神殿)による礼拝にアテン信仰の教理が習合し、ダビデの礼拝が生まれたのであれば辻褄が合う気がする。

カナン部族連合はシュメール時代から信仰されていたイシュタルから変化したアシェラを拝していたが、このようにして習合され一神教の神ヤハウェになっていったのかもしれない。