アマルナ革命

アマルナの遺跡で見つかった人骨は悲惨の極みだった。9歳から30歳の若者が極度の栄養失調の中、過酷な環境で働かされていた。死ぬとゴミのように共同墓地に放り込まれた。彼らは少年や少女の奴隷だった。大人も過酷な労働で背骨が潰れ、あるいは骨が変形し、衰弱して死んだ。

その傍ら、王侯貴族は余りある肉、果物、魚、パン、葡萄酒三昧だった。アマルナの10%は王侯貴族、残り90%は奴隷だった。

これらの奴隷はシリアやパレスチナレバノン、その他アフリカ諸国から連れて来られてた奴隷である。

この中に、モーセが心を痛めたヘブライ人奴隷たちもいたのではないだろうか。

子どもが鞭打たれて絶命する、それがアマルナ革命の正体だったかもしれない。

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アクエンアテンは同盟国の救援要請にも応えなかった。平和の王ではなく、エジプトの領土を失った内弁慶だったのだろう。

このような悲惨な状況に心を痛めた良心的な神官はいただろうか?もしいたなら、その人物こそがモーセだろう。ラムセス二世が良い王だったとは言わないが、少なくとも王の勤めは果たしていた。一方、アクエンアテンはミイラから顔が削り取られるだけの事はある悪行を重ねたのだろう。

出エジプトの原因となった王はラムセス二世ではなく、アクエンアテンだろう。出エジプトの時期的にもそうずれないと思われる。

アマルナでの凄惨極まる子どもへの虐待に、心を痛めていた神官の一人が奴隷を連れてエジプトを脱出したのかもしれない。そう考えると出エジプトは規模こそ違うが本当にあった出来事だろうと考えられる。実際、ラムセス三世の治世で、給料を払われなかった労働者がストライキを行っている。申命記に逃亡奴隷を匿うように記述されている事から伺い知れるかもしれない。そのように考えると辻褄が合う。

アクエンアテンの悪政の元、幼い子どもも重い荷物を背負わされ、容赦なく鞭打たれて死ぬ。側近の内、心ある者かもしくは無名の誰かが見ていられなくて、アクエンアテン死去を機に大勢の奴隷を連れてカナンへ逃亡した。それがシヌヘの物語にも似た話であったため、シヌヘ物語が脚色され出エジプト記になった。アクエンアテンはエジプト史から抹殺されそうになり、人々から忘れられたので、有名なラムセス二世がいつの間にか出エジプトのファラオにされてしまったというところだと思う。

エジプトのような灼熱の下、一般労働者はパンとビールしか与えられなかった。これが奴隷扱いは無かったと言うのはあまりに感覚がずれている。

以上から出エジプトは実際にあったと結論する。ただし、それはおそらくタニス湖を渡って命からがらヨルダン渓谷へ逃げたのだろうと思う。そして先に逃げていた集団と合流したのかもしれない。そして一神教の教えがヨルダン渓谷に持ち込まれ、月神信仰と習合したのだろう。ヤハウェ一神教イスラエルの元からの宗教では無かったなら、なかなか定着しないのも当然だと言えるだろう。

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