鳥居から見る古代日本1 訂正

1「鳥居の起源についてのサイト」

https://www.city.hidaka.lg.jp/material/files/group/29/2060541.pdf

 

よく秦氏に関連して、日ユ同祖論が語られる。もちろん、秦氏が3~4万人を引き連れて日本に渡来した事は事実であろう。秦氏は弓月国の出自で景教徒であった事も事実である。そして秦氏八幡神社の関係についてよく議論される。を日本全国に建立したとされる。

しかし私は文献に記述されていたとしても、どうにも腑に落ちない事がある。

それは日本の神社における鳥居の存在である。

 

門と言えばアテネやフランスの凱旋門古代エジプトのピュロスもある。しかし、凱旋門は戦勝記念であったり、古代エジプトのピュロスは神の威光を示すものであると思うので意向が異なるであろう。

そして、モーセの移動式神殿の入り口が鳥居の原型であるという説もあるが、そもそも

移動式神殿の入り口は鳥居と異なり移動する。また、モーセの移動式神殿の場合、入口に続いて布が礼拝所周囲に張り巡らされており、精霊の守りによって結界を張るという考え方と絶対神の住まう聖所と人間の住む俗界を聖別するという考え方は決定的に異なる。

結界が外側からの脅威に対する守りであるのに対し、旧約聖書における聖別は、圧倒的武力を要する要塞のようであり、人の目に容易に触れぬよう隠す事によって、尊厳と権威をもって臨む、むしろ外側への攻撃である。

また、秦氏景教徒であれば、悪霊を恐れるアニミズム的な結界という発想は受け入れないであろう。

なのになぜ鳥居を建てたのか、これはユダヤ教に見られるような、アシェラ信仰を習合し、やがて飲みこみ、アシェラの形跡を消し去ったのと同じパターンをとるはずだったのではないだろうか。

 

ミャンマーにアカ族という日本人と繋がりのありそうな部族がいる。

アカ族は村の入り口に「ロコーン」という名の木の門を作り、木彫りの鳥が門の上に飾られる。これが鳥居の原型とも言われている。また、アカ族と元は同じ民族であったとされるベトナムのハニ族は、聖樹にしめ縄を張り守りとする。

これは上記のpdfを参照されたし。

さらにアカ族は、稲に宿るとされる稲魂に信仰を持つ。

そして纏向遺跡から、アカ族のロコーンの飾りである木彫りの鳥と同様の物が発掘されたのである。

wikipedia鳥居より引用

日本の神社でよく見られる「鳥居」の原型は、アカ族らが長江流域から南下、避難してくる前、長江流域に住んでいた時代人であった時代)の「鳥居」ではないのか、という説もある。アカ族の村の門には鳥の木形が置かれるが、同様の鳥の木形は日本での稲作文化の始まりとされる.弥生時代の遺蹟である池上・曽根遺跡・纒向遺跡でも見つかっており、また他にも多くの遺蹟でも同様である

 状況証拠的には、鳥居はロコーンが由来であろうと思う。纏向遺跡にあったはずの鳥居が無いのは不思議ではあるが、後代に誰かによって取り除かれたか、事情により作られなかったのであろう。

そしてpdfにあるように天皇の祖先の名には「穂」という文字が使われている事が多い。

これらを考慮すると、日本古来の信仰は東南アジア及び中国雲南省辺りと共通の、稲作に基づいたアニミズムであったと考えるのは自然である。

そこへ後から渡来してきた秦氏景教を持ち込み、習合が図られたのではないだろうか。鳥居や祠は元から日本にあったものだと筆者は考える。

三本足の鳥居など、秦氏由来の鳥居がある。これは秦氏が東南アジアあたりの精霊の守りによる「結界」という考えに対する誤った認識から起きた事かもしれない。

あくまでも推察なのでご容赦されたい・・(汗)

ロコーンについてはwikipediaよりも、もっと良い写真があるのでブログを紹介する。

www.cromagnon.net

それにしても、諏訪大社の御頭祭はいざ知らず、日本の神社はたとえ羊であろうと血を穢れとし、ユダヤ教キリスト教は清いものとして扱う。これほど決定的に違う事がよく無視されがちである。ユダヤ教神道の部分的な共通点を見て、全体を判断するのは早計ではないだろうか。それは申し訳ないが、アゲハ蝶とアゲハモドキを見て同じであると見なす事と同じである。